日記

すみっこで生きてるわたし

洗脳、思い込みに苦しめられる不幸

工場の生産では工程が決まっている。

1にこれをして2にこれをして3にあれをする、、、というように

完成形が見えているので、その過程を段階的に分けることができる。

 

だが人生はどうだろう。

人生に完成形なんてないはずなのに、どうして過程だけ実行することを推奨されるのだろう。

何歳までに結婚した方がいい、いい会社(定義不足)に入った方がいい、いくら稼いだ方がいい、などなど

 

人の数だけ完成形は存在し、それぞれ違うはずなのに、なぜこうも画一的な方向に誘導されているのか。なぜ、とある形が理想形、完成形と定義され、それ以外は失敗などと認識するような考え方にに誘導されているのか

 

私は結構痛い人なので、いまだに「他人と違う方がかっこいい」とか思うタイプの人だ。だから他人にどう思われようと、私がやりたいように生きて終わりたいと思っている。だけど苦しい時はたいてい、こうであるべき、こうでなければだめみたいな意見がまとわりついて離れなくて、その考えを否定できずに苦しんでいる。

この状態の時は自分を非常に不幸だと思う。世の中にはそんな悩みを抱えることなくやってのけてしまう人がいるからだ。まあこれも他人との比較で発生している悩みなんだけど。

 

休みたい時は休めばいいし、寝たい時は寝ればいい。

何かしたくなったらそこに力を注げばいい。

それだけなのにな