近況備忘録 2023.4.2
社会はいよいよ新年度。
これまでの出来事をまとめておく。
ついに現環境で働いて丸1年。
より良い生活の模索のために、結構辿り着けた結論がある。
それは、固定観念を捨て、毎日を老後と仮定して考えると、
そのとき何がしたいのか、自分がどうありたいのかを再考しQOLを上げることにつながる可能性があると言うことである。
狭い考え方により、選択肢が狭くなったり、こだわりがあることで自分の生き方が窮屈になってしまっているのだ。
特に強い外圧が、お金、世間体、安定などといった言葉だ。俗にいう固定観念だ(ちなみに固定概念なんて言葉は本来ない、勝手に間違えて作っただけ)
私もまだこれらに少し囚われていて、本当に過ごしたい生活を真には送れていない。
そもそも何を以って自身の幸せと定義するかが人の数だけ存在するので、
どう行動するかは自分の心と常に向き合わなければならない。
そのためには、なるべく他人の言葉には頼らない方がいいとすら思っている。
もちろん、助言として取り入れて、自分の生活で生かしてみるのも大事だ。
でも意思決定においては、自分で納得できるまで根拠を突き詰めて結論を出す方が、後悔も少ないだろうし、そういうプロセスを経て出した結論は結果としていい方向に向かいやすいと思う。
私は労働時間がなるべく少ない生活が幸せだと思っている。
だからお金のために頑張って働く人や、たくさん働いて結果を残すことをいいと思う人たちのことが理解できなかった。
その、分かり合えない人たちの中に常にいたから、場所だけ変わっても居場所がないような気がしていた。
一方で、何かを成し遂げるために仕事なるものを続ける、仕事を目標達成や夢のための手段としている人たちや、そもそも仕事として考えていなくて、単に楽しいからやってる、趣味の延長みたいな感覚で動いている人はとてもすごいと思うし羨ましい。
自分も本当はそういう生き方をしたいとわかっているつもりでも、なかなか踏ん切りが付かないのが現実である。
だが諦めるわけではないし、3ヶ月以内には覚悟をもって野に放たれようと思う。
労働が嫌すぎて資本主義について考えるようにまではなった。
東大卒の人たちや本当に頭のいい人たちが、起業をしたり海外に行ったりして、ただの労働者にならないよう努めていることが今ではすごく腑に落ちている。
ずっと会社に従属して生きていくのは、ある意味、思考停止なのかもしれないとさえ思ってしまう。
ずっと考えていた。
生活をするだけなのに、こんなに縛られなきゃいけないのか、と。
ただ生きていたいだけなのに、こんなに苦労するのかと。
社会から逃れることはできない。
でも、関わり方を選ぶことはできる。
国は企業と人から吸い取り、企業は労働者から吸い取る。
この構造がある以上、一番上に立たないと搾取は存在し続ける。
でもこの枠からなるべくはみ出して行けたらどうだろうか。
自分が納得できるかどうか。それが一番なんだ。
どんな道を選んでたとしても。
たとえ不合理でも非効率でも、自分がそれでいいと思っているなら
それが幸せなことなんだろうと思う。
この先どうなるかはわからない
それでももう少し自由に生きたいというのが、今の私にとってはやりたいことだ。
それが割とできそうな今現代には感謝しかないな。