日記

すみっこで生きてるわたし

相対的ではなく絶対的な価値観を

子供の頃、お小遣いが他の子よりも少なくて辛かった

他の子が買っているものを自分が買えないことに辛さを覚えた

自分もいろんなものが欲しくて親の金を盗んだ

バレて怒られた

 

不幸や劣等感みたいなものは常に比較から生まれる。

人が自分より上のように見えると、そこから生まれる。

それを満たすために、不合理な選択や行動をしてしまう。

そしてさらに不幸になってしまう。

その構造自体は30年経っても変わっていないし昔からもそうだ。

 

でも自分の環境は変わった。

他者や外部がどうだろうと関係ないと割り切れる環境を作り続けられるようになった。

自立を求め一人暮らしを始めたのは正解だった。

最初はきついこともあったが段々慣れていった。

だからこの後仕事を辞めても同じだと信じてる。

最初は抵抗もあり乗り越えたり慣れたりするのに時間がかかるはずだ。

でもそのあとはきっと自由だし、今以上に幸せになれる。

 

唐突だが、人はなぜボーナス(賞与として得たお金)を貯金できないのか

日頃のストレス発散に使ったり、普段買えないものを買ったり、子供のために使ったり、理由は様々だが、みんな使わないといけないような環境にいるのは確かだ。

そんな環境をあえて生み出すことで、ボーナスやお金がたくさんないといけないシチュエーションに追い込む。

そんな時にちょいっと金を渡してくれる何がか存在したら、人はそれに自然と支配されるのだ。

そうして生まれるのが、社畜、なのだ。

 

人を金で操れると気づいた人が、人を操り富を得る。これが資本主義の本質だ。

そして人に操られることを普通だとする風土を作り、その価値観を認めないものを徹底的に排除する。都合が悪いからだ。

 

私は今、徹底的に排除される側の立場にいる。

絶対的な価値観を見つけた私という存在は、社会にとっていささか都合の悪い人間になってしまった。社会からの圧と闘い続けて自分の意思を持ち続けた私は、何度も苦しい思いをし、誰にも理解されないまま今日までを過ごしている。

 

だが私はずっと前から気づいている。

ただなんとなく、苦しまずに穏やかに、自分が満足できる生活を送ることが1番の幸せであると。子供の頃からずっと思っていた。邪魔者が何一つ介入してこない空間にいることが一番の幸せであると。本能的に思い続けている。

 

私は私の幸せのために闘い続けて追い求める

たとえ一人になっても

全員が敵になっても

友達が味方でなかったとしても

 

私の自由と価値観は、誰にも邪魔させない。