日記

すみっこで生きてるわたし

私がたどり着いた絶望

何も知らなければ

何も考えなければ

ある意味幸せだったかもしれない

 

私は新卒で大企業と呼ばれる企業に就職した。

しかし、会社の空気や職務とのバランスが取れず精神をすり減らし、やむなくバックオフィス系の仕事ができる中小企業へ1年で転職した。

 

給料は残業がなくなった分、結構減った。

そして転職からわずか3ヶ月後、コロナがやってきた。

コロナによって会社は経営に大打撃を受け、会社は国からの補助金を頼りに社員に給与を支払うという義務を果たし続けた。賞与なんてものはもちろん0だ。

仕事が減り、私は月に数回しか仕事をしない、という状況になった。

幸い給与はほぼほぼ担保されていたため生活が苦しくなることはなく、たまたま生まれた時間というボーナスを存分に使い、やりたいことをたくさんやり尽くした。

その後もコロナ禍からの経営回復が見込めないと踏んだ私は休暇中に資格勉強をし、その資格を使って別の会社へ転職した。

この時点で既に2社を渡り歩き、キャリアや経験値を積む、という成長の概念からは既に外れていた。

3社目に勤め始め、給与と賞与が安定して与えられるようになった。

安定はしているものの、キャリアのない私には給与水準は同世代の人間よりも低く、ちょっと時給のいいアルバイトとほぼ変わらないような給与でフルタイムで働いていた。

職務内容も、覚えることはたくさんあれど、量が多いだけで一つ一つを分析すると、ちょっとやれば誰でもできるようなことの積み重なりでしかなかった。

ここで、思考停止し、簡単な仕事を何も考えずにやり続け、会社の人たちとうまく馴染むように振る舞って、無難に給与を貰い続けることができれば、ある意味の幸せに辿り着けたのだろう。

 

しかし、私の積み重ねてきた人生経験と知識がそれを許さなかった。

 

私は新卒時代、いや、学生時代から働くことがとにかく嫌いだった。

大学時代のアルバイトも仕事と人間関係がうまくいかず続かなかった。

単発で入れていたバイトも、お金が他に捻出できる可能性がある限りはほとんどやらなかった。週一くらいは働こうと思っても、1度経験した疲れを2度味わうことを考えると嫌になってしまい、長続きはしなかった。

働くことから逃げ続けた私は、働かない私を正当化する理由を探すようになった。

 

給与はどれだけ頑張ってもそんなに上がらない、手当が多少着く程度。

会社で昇進しても仕事が異常に増えて給与以上の負担が増える、管理職になると残業すら出ない。給与というのは基本的に最低限に抑えられていて、企業の利益の大部分は経営者層に流れ込んでいる。必死で働いても少子高齢化は拍車がかかり、保険料と税金で給料の2割を持っていかれる。今後も人口構成は悪化していき、働く者への負担だけが増えていく。私が生まれた頃から今まで日本の給与は物価に合うように上がっていない。などなど、

上記はある程度は事実であるが、事実であるが故に、ただの努力できない人間の正当化

でしかない、とは言い切れなくなってしまった。

 

今の私には、知識を入れることと逃げることしかできない。

自ら状況を打開し、工夫をして生きる力を、私はまだ持っていない。ずっと持てないままかもしれない。

日本がダメなら海外へ、と実行していく行動力も体力もない。

自分は、どこへ行っても地獄の包囲網から抜け出せないことに気づいてしまった。

はまだこうして文章を残しているが、それすらできなかった他の者たちが行き着いた先が、死なのだろう。

死は救済、とはよく言ったものだ。

 

そんな社会の真理みたいなものに気づいてしまったのだ。

真面目に頑張って勉強して成長しようとした結果、皮肉にもそれら全てを無価値とするような真実に辿り着いてしまった。

 

気づけば私の同世代の人たちも、真面目どころか一見ふざけているようにしか見えないことを世間に発信して生計を立てる者が増えてきた。裏ではエンタメを作るための努力があるのかもしれないし、呼吸をするように素でエンタメができるセンスがあるだけかもしれないが。ある意味そういう人たちの方が、時代を捉えて生き延びる術をちゃんと作っているのかもしれない。

 

とすれば私はそれすらもできない愚かな怠け者なのだろう。

 

現実というコンテンツは、戦うことができず、考えることから逃げ続けた人間にとって

この上ない絶望である。

 

これだけ長々と並べた御託も要するに

現実を直視せざるを得なくなって、自分が弱者であると思い知り、絶望だと喚いている

というだけの愚かな話だったわけだ