少数派にいるのが好き
今日は某所で肉体労働っぽいことしてきました。
8時間立ちっぱなし、動きっぱなしでした。スーツ着て。
それでクタクタになって家について、ご飯食べながら録画した賭ケグルイを
みて、体力を回復させ、今記事を書いてまーす。
仕事怠いなぁとか、これからどうやって生きていこうかなぁとか常々考えながら
今生きてますけど、こうして自分と向き合い続けると、悩むこともあるけど、前を向ける時もあるんです。
今日は自分がどんな人間だったかを思い返しました。実は先日、大学の同級生と
久々に飲みまして、そこで社会人の近況や、今度はいつみんな集まれるかなぁとか
話すんですけど、友達の生き方を見るたびに、自分の生き方も日々考えます。
こうして自分が生きてきた価値観を振り返ると、自分の中で
「人と違うのカッコいい、みたいな中2病全開の価値観」
を未だに持ち続けているんです。
だから仕事もやりづらいし、社会に合わせて、会社に雇われて働いてるのもつらいなぁとか思うけど、
でもそういう逆張り精神というかあまのじゃくさみたいなものが自分らしさなのかなぁとも思ったりしてます。
なんか、人と違うことして、自分しかしてない、only one感が好きなんですよね。
実際大枠で捉えてみると、少数の人がやってることをやりたいだけど、誰もやったことのないことに挑戦している、っていうわけではないんですけど。笑
少数派であることに、嬉しさを覚える性分なんです。
でも、世間は常に多数派のために作られる。
駅の改札は右にSuicaをタッチするとこがあるから左利きはしんどいし、
そもそもありとあらゆる施設は健常者が使う前提で作られていて、
俗に言うchallengedと呼ばれる人々のために作られている場所はまだまだ少ない。
今言った例えが正しいかはわからないけど、少数派になるってことは
生きづらい世の中を生きるってことにもつながってしまう。
それでも、夢や自由を追い求めようとすると、必然的に多くの人が通らない道を
通らないといけないんだよね。しかもそういう道に限って
割とでこぼこしててルートによっては茨の道とも呼ばれる。
だからみんな通りたがらない。
でも通り抜けてみたら、いい結果が得られることもある。
カーナビに載っていないオフロードの近道を通るか、
遠まわりでも綺麗な道を選ぶか。
だいたいみんな後者を選ぶ。
自分も基本はそうだし、今はみんなと多数と同じように道を選んでしまっている。
でも、便利で綺麗な道って
混んでるんだよねぇ
人、もしくは車がいっぱいいてさ、渋滞激混みみたいな感じ。
それに耐えてでも綺麗な道を選ぶ人もいれば、
人多すぎ!無理だ!っつって痺れ切らして別の道行く人もいる。
どっちが正しいかはわかんないし、どっちが得なのかもわかんない。
でもそろそろ、痺れが切れそう。
なので今の生活から変われるよう、あえてみんなが行かなそうな道を
行ってみようかなと思い出したし、いつかは自分で道も作れたらなと思う。
まだ何も行動ができてないから、夢でしかないけど笑
まーた文が支離滅裂になってきたから今日はここまで!