日記

すみっこで生きてるわたし

今から詩を作ったとして

何を伝えられるだろうか

空っぽの私に

できることなんてあるのか

 

他人に期待するのをやめ

世間に失望し

何をしたいかさえ見失った人間が

一体何を求めて生き続けるのか

 

父さん 母さん 先生

皆さんのおかげで

私は少しばかり賢くなれました

いろんなことを知れました

知りすぎて希望を見失いました

 

怪しい人について行ってはいけません

向こうからやってくるうまい話には気をつけろ

知らないことは損失だ

損得ばかりしか考えられない大人になんてなりたくなかった

 

子供の頃みた大人たちが

全てを諦めたような顔をしていたのは

こういうことだったのか

そんな未来を変えるために

今必死で抗っているんじゃないのか

 

 

 

 

意味を捨て意志を取れ

最初はあまり意味が分からなくて、なんとなく理解していたようなこの言葉。

ある時誰かが、生きる「意味」を捨てて生きようとする「意志」を持とうってことなんじゃない?って解釈をしていて、それがすごく腑に落ちた。

 

ずっと考えて、考え続けて割り切れなかったこと。

なぜ生きてるのか

何のために生きるのか

なぜ動くのか

何のために動くのか

 

理論や理屈を求められる世界で、根拠のないものに根拠を求め続けて、ずっと悩んでた。それはとても苦しかった。

 

でもそうじゃなくていいんだって教えてもらった。

 

意味なんてなくていい

理由なんてなくていい

死にたくない、苦しみたくない、

もっと自由に生きたい、あれがしたい、これをやってみたい

内側から湧き出てくる想いそのものが導いてくれるんだと

それだけでいいんだと

 

 

 

 

 

 

気持ちが冷めないうちに

大学受験に大失敗した時期があった

原因はそれまで何もしてこなかったから

大学受験に大成功した時があった

理由は成功することだけを考えて行動したから

 

何が原動力だったか

やって積み重ねれば力になるという確信

絶対的な先生の存在

自分はこれだけやれた、お前らとは違う、と見向きもしないだろう他人へ証明する意思

 

どうも追い詰められないと火がつかないタイプみたいだ、私は。

怠け者だからな

 

色々諦めたつもりだった

それでもやっぱり諦めたくなかった

どんなに辛くても

自ら心臓を止めることだけはできなかった

 

終わりたくない

今回は先が永遠に見えなくて途方もないと思う

それでも

こんなところで終わりたくない

訳のわからない奴らに

こんな訳のわからない理不尽な世の中に殺されたくない

戦わずして負けたくない

私は頭が使えて

生きていけるんだって

親が20年かけて投資した結果が無駄じゃなかったって

証明してやる

 

思い出せ、かつてのあの思いを

 

 

私がたどり着いた絶望

何も知らなければ

何も考えなければ

ある意味幸せだったかもしれない

 

私は新卒で大企業と呼ばれる企業に就職した。

しかし、会社の空気や職務とのバランスが取れず精神をすり減らし、やむなくバックオフィス系の仕事ができる中小企業へ1年で転職した。

 

給料は残業がなくなった分、結構減った。

そして転職からわずか3ヶ月後、コロナがやってきた。

コロナによって会社は経営に大打撃を受け、会社は国からの補助金を頼りに社員に給与を支払うという義務を果たし続けた。賞与なんてものはもちろん0だ。

仕事が減り、私は月に数回しか仕事をしない、という状況になった。

幸い給与はほぼほぼ担保されていたため生活が苦しくなることはなく、たまたま生まれた時間というボーナスを存分に使い、やりたいことをたくさんやり尽くした。

その後もコロナ禍からの経営回復が見込めないと踏んだ私は休暇中に資格勉強をし、その資格を使って別の会社へ転職した。

この時点で既に2社を渡り歩き、キャリアや経験値を積む、という成長の概念からは既に外れていた。

3社目に勤め始め、給与と賞与が安定して与えられるようになった。

安定はしているものの、キャリアのない私には給与水準は同世代の人間よりも低く、ちょっと時給のいいアルバイトとほぼ変わらないような給与でフルタイムで働いていた。

職務内容も、覚えることはたくさんあれど、量が多いだけで一つ一つを分析すると、ちょっとやれば誰でもできるようなことの積み重なりでしかなかった。

ここで、思考停止し、簡単な仕事を何も考えずにやり続け、会社の人たちとうまく馴染むように振る舞って、無難に給与を貰い続けることができれば、ある意味の幸せに辿り着けたのだろう。

 

しかし、私の積み重ねてきた人生経験と知識がそれを許さなかった。

 

私は新卒時代、いや、学生時代から働くことがとにかく嫌いだった。

大学時代のアルバイトも仕事と人間関係がうまくいかず続かなかった。

単発で入れていたバイトも、お金が他に捻出できる可能性がある限りはほとんどやらなかった。週一くらいは働こうと思っても、1度経験した疲れを2度味わうことを考えると嫌になってしまい、長続きはしなかった。

働くことから逃げ続けた私は、働かない私を正当化する理由を探すようになった。

 

給与はどれだけ頑張ってもそんなに上がらない、手当が多少着く程度。

会社で昇進しても仕事が異常に増えて給与以上の負担が増える、管理職になると残業すら出ない。給与というのは基本的に最低限に抑えられていて、企業の利益の大部分は経営者層に流れ込んでいる。必死で働いても少子高齢化は拍車がかかり、保険料と税金で給料の2割を持っていかれる。今後も人口構成は悪化していき、働く者への負担だけが増えていく。私が生まれた頃から今まで日本の給与は物価に合うように上がっていない。などなど、

上記はある程度は事実であるが、事実であるが故に、ただの努力できない人間の正当化

でしかない、とは言い切れなくなってしまった。

 

今の私には、知識を入れることと逃げることしかできない。

自ら状況を打開し、工夫をして生きる力を、私はまだ持っていない。ずっと持てないままかもしれない。

日本がダメなら海外へ、と実行していく行動力も体力もない。

自分は、どこへ行っても地獄の包囲網から抜け出せないことに気づいてしまった。

はまだこうして文章を残しているが、それすらできなかった他の者たちが行き着いた先が、死なのだろう。

死は救済、とはよく言ったものだ。

 

そんな社会の真理みたいなものに気づいてしまったのだ。

真面目に頑張って勉強して成長しようとした結果、皮肉にもそれら全てを無価値とするような真実に辿り着いてしまった。

 

気づけば私の同世代の人たちも、真面目どころか一見ふざけているようにしか見えないことを世間に発信して生計を立てる者が増えてきた。裏ではエンタメを作るための努力があるのかもしれないし、呼吸をするように素でエンタメができるセンスがあるだけかもしれないが。ある意味そういう人たちの方が、時代を捉えて生き延びる術をちゃんと作っているのかもしれない。

 

とすれば私はそれすらもできない愚かな怠け者なのだろう。

 

現実というコンテンツは、戦うことができず、考えることから逃げ続けた人間にとって

この上ない絶望である。

 

これだけ長々と並べた御託も要するに

現実を直視せざるを得なくなって、自分が弱者であると思い知り、絶望だと喚いている

というだけの愚かな話だったわけだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

存在意義

夢を追いかけ、目標のために頑張り続ける

すごいことだ

誰かのために尽力するために動き続ける

すごいことだ

 

じゃあ人間はみんな

夢や目標を持って生きていないと意味がないのか?

今日1日すら生きられるかもわからない

投薬され続けられることでしか生きられない

誰かがいないと生きられない

そんな人たちはどうなるんだ

 

生きる目的が何一つないのに死ねない人間は

存在してはいけないのか

 

理由がないと

生きてはいけないのか

 

自分で認められる自分になるために

何かを得るためには、何かを差し出して交換するのが筋だ。

見た目が自分の理想に近い相手とパートナーになりたいなら、自分もそれに見合う対価を出さないと成立しない。

内面を見て欲しければ、自分も内面を見て認めてもらえるような人間であると証明すべきだ。

幸いにも容姿が崩壊しているレベルではなかったので、それはある意味選択肢が得られて天命であると思う。

まずは自分が、認めてもらえるような人間になることが大事だ。

人助けしている自分のステータスや人助けのリターンではなく、人を助けるなら人を助けたことそれ自体を自分の糧にして助けるべきだ。

 

自分に向き合って欲しいなら、自分が誰かと向き合わなければ始まらない。

家族とさえまともに向き合ってこなかったこれまでだったとしても、誰かと向き合わなければ、誰からも自分に向いてもらえない。

 

人生を豊かにしてきた人たちの言葉をやっと理解できた気がする。

今までは文字面でわかった気になっただけで、何も理解できていなかった。

 

自分にできることを誰かにすることで誰かを助ける

 

ただそれだけいいんだ。

 

どうか諦めてくれ

今日着ていく服がある

今日履いていく靴がある

今日帰る家がある

今日食べるご飯がある

私はそんなことが嬉しい

 

幸せを探しても見つからない

なら自分で作った方が早い

形がみんな違っても

作り方は決まってないから

綺麗な形か歪かなんて

比べなきゃそもそもわからない

何かと比較して生まれる感情に

幸せは存在しない

 

 

誰からも認められないなら

他人なんてものはいっそ切り捨てて

自分の分身を作りあげて

無理にでもそいつに褒めさせてやるんだ

 

明日生きられないと分かったとしても

今日を生きることは諦めない

無理して生きろなんて言いたくない

けど

どうか諦めてくれ

諦めて命を投げ出すことを